「労働」とは、いったいなんでしょうか?
改めて考えると、労働の本質とは、何か考えさせられます。
多様化する価値観において、各個人がどのような働き方を選ぶのが最適なのでしょうか。
というわけで今回は「労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い」について詳しく説明致します。
労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い①【働くということ】
「労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い」というテーマで1つ目に取り上げるのは「働くということ」です。
皆さんが社会の一員として仕事をする時、何を基準として仕事を選び、どんなことで自分自身が社会に貢献できると考えたのでしょうか。
そもそも働くこととは、いったい、なんでしょうか。
そう、「労働とは国民の義務である」と法律で定められています。
となると、「働くこと」とは、選択ではなく「強制」なのです。
国民である以上、何かしらの役割を各個人が行い働きなさいよということを定められているのです。
もちろん日本国民として生きていくためには、日本という国のルールそのものにのっとって生活していく必要がありますし、日本に生きているほとんどの方が、特に何も考えずに、社会に出たら働くことは、当たり前だと考えています。
なぜ、当たり前だと考えているのか?
それは、当たり前だからです。当たり前だと認識させられているからと言えます。
憲法に労働は義務ですよと、書かれているので、小学校で明確に大人になったら働きなさいと教えこまれているのです。
皆さんも、それはしっかりと理解されており、小学生時代の記憶もあるはずです。
だからこそ、働くこととは何か?労働とは何か?をあえて真正面から考える方も少ないのでは、ないでしょうか。
なぜなら、当たり前なので考える必要がないからです。
ですが、労働に関して全く考えないということもないのです。
考えるきっかけというのがあるのです。
人生には、必ずや転機があります。そのような転機のタイミングで考えさせられることはあるのです。
人生のタイミングと言えば、学生ではなくなった時からになります。
学生でなくなるタイミングというのは、人によって違います。
学生でなくなるということは、社会に出てからという意味とは、違います。
学生であっても社会には出ているからです。
では、社会人になってからという位置づけが学生ではないとうことでしょうか?そうかもしれませんが、本当のところは、制度ではなく個人が決めることなのです。
人生の転機としては、就職、転職、退職、結婚、離婚、出産、転勤、移転などが、「働くことってなんだろう?」って考えることになるタイミングとなります。
普段は、忙しいのが常の現代人ですから、「働くこと」など考えない人が多いと思いますが、ふとした瞬間に考えたことは、ありませんか?
自分はなぜ、働いているのだろうか?
もしかして働いているのではなく、働かされているのかもしれません。
これは、どちらも正しいと言えるでしょう。
これは、どちも正しいのです。
労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い②【多様化する働き方と時代背景】
「労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い」というテーマで2つ目に取り上げるのは「多様化する働き方と時代背景」です。
数年前から「働き方改革」が国家主導で進められ、そのかいあってか、なかってか、少しずつですが働き方に対する考え方というのは変ってきたように思います。
最近では特に働き方が変わった多様化してきたと感じられるようになったのは、企業が変わったからです。
というよりも、企業が柔軟になったというよりも、ならざるをえない状況になったからと言ってもよいでしょう。
2020年新型コロナによって、在宅勤務が一気に進んだのです。
やはり生命に関係してくることとなれば、ビジネス最優先ではないのです。
密を避け、他社との接触をできるだけ避け、分断化という状況を作ることを最優先としリモートワークなどにより、各自がそれぞれ分担した仕事を行うようになったのです。
もちろんそれ以前にも、在宅勤務で仕事をしている方もいらっしゃいましたが、今ほどメジャーな働き方ではありませんでした。
というのも、ほとんどの企業が在宅勤務は、仕事ではないと受け取めていたからで、仕事は集まって一箇所で行うものであり、オフィスと言う定められた場所にいることが、そもそも仕事の基本だと強く強く根付いていたからです。
これは、単に概念、そのものに縛られていたにすぎないのです。
実際にコロナ禍という状況の中で、リモートワークをやってみたら、仕事はやれると実感できた方がほとんどなのです。
むしろメリットを多く感じた方のほうが多いのではないでしょうか。
無駄な通勤がなくなり、常時顔を合わせていないだけ楽になり、人間関係での負担が減ったことは間違いないのではないでしょうか。
実際、仕事においてのストレスの根本的な原因というのが人間関係なのです。
雇用する側とされる側、対価を支払うものと、受け取るもの、そのような役割の違いがあるからこそ、上から目線での圧をかけたりなど、ストレスの要因が生み出されるのです。
概念にとらわれることが仕事のスタイルを変えることになるのですが、そもそ働くことが義務であると定められたことが概念そのものであり、本質的には何も変っていないのです。
労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い③【固定概念と制度】
「労働とは何か?多様化する働き方と個々の価値観による違い」というテーマで3つ目に取り上げるのは「固定概念と制度」です。
日本の教育制度を改めて考えた時に、ある意味、社会人に慣れた時がまずは1回目のゴールであり、死ぬまで終わらないスタートを切るのです。
少子高齢化の時代において、超高齢化社会というのも1つの大きな問題となりますが、高齢化は時間が過ぎればいつかは解消されます。
高齢者の人口は今は多いのですが、時を過ぎれば減少するからです。
しかし少子化というのは、非常に問題となります。未来への投資ができていないわけですから。
子供の少ない現在ですが、教育によっても格差が現れています。
現代は、子供を一人育てあげるには、莫大なお金がかかります。
また子供に対しては、いくらお金をかけてもきりがなく、かけようと思えばいくらでもかけられるのです。
子供の数が増えているからこそ、子供一人に対してかける教育資金も非常に大きくなるのですが、教育格差が出ているのは、親の資金力による差とも言えるのです。
そうなるとここにも社会の仕組み、経済力というものが関係してくるわけです。
「稼ぐ」ということになると、そのために仕事をするということになるわけです。
つまりは、概念であり、社会の中の一コマとしての役割をはたすことであり、生活をしていくため、生きていくために仕事というのは行わざるをえないわけです。
そのような社会全体の仕組みそのものがあるわけで、私達の日常は、それが当たり前として存在しています。
もちろん、どう生きようが、どう捉えようが、それは個人の都合であり選択は、それぞれに委ねられています。
しかし現実社会では、あまりに自分勝手に振る舞い、社会から逸脱すると生きづらい世の中として感じてしまうこともあります。
情報社会の現代だけに様々な情報は存在し拡散性も高いのです。
近年では、特に叩く場合は徹底した叩くというような現状もあるのです。
これが利便性の高い現代社会が生み出した弊害と言えます。
日本の制度、教育そのものが、既に制度というルールの中で拘束し考え方を固定するような社会となっているのです。