消費者ニーズが多様化の一途をたどる現代において、ビジネスとして成功を収めるための要因となるのは、いったいなんでしょうか?
様々な成功要素を知る中で消費者心理を知るということが非常に大切になります。
というわけで今回は「10分でわかるConsummatoryとInstrumental」について詳しく説明致します。
10分でわかるConsummatoryとInstrumental①【Instrumentalとは】
「10分でわかるConsummatoryとInstrumental」というテーマで1つ目に取り上げるのは「Instrumentalとは」です。
近年様々なテクノロジーの進化によって時代の変化は加速し続けています。
あまりの情報量の多さがまた時代を瞬く間に過ぎ去るように仕向けている感じも見受けられ、世の中のトレンドというのも大きく変わっていきます。
そんな世の中において、思考や考え方そのもののというのも非常に大きな影響を及ぼすことになるります。
近年、コンサマトリー(Consummatory)とインストゥルメンタル(Instrumental)という言葉をよく耳にするようになったかと思います。
この言葉をはじめて耳にしたという方もいらっしゃるかもしれませんので、解説していきます。
理学や社会学の領域で使われる用語としてConsummatory Behavior, Consummatory Communicationという言葉があります。
行為や会話自体の目的という意味があります。
Consummatoryの学術的な定義としてつぎのようなものがあります。
- 完了行動 (Consummatory Behavior)
- 自己完結的コミュニケーション (Consummatory Communication)
もう一つのInstrumentalですが「道具的」という意味があります。
Consummatoryの対義語にあたるのがInstrumentalというわけです。
では、なぜ対義語であるConsummatoryとInstrumentalという言葉がなぜ今、この時代に注目を集めているのでしょうか?
はたしてこの言葉に共存、両立というのは成り立たないのでしょうか?
10分でわかるConsummatoryとInstrumental②【ConsummatoryとInstrumentalが注目される理由】
「10分でわかるConsummatoryとInstrumental」というテーマで2つ目に取り上げるのは「ConsummatoryとInstrumentalが注目される理由」です。
現代のビジネスにおいて重要なことは、いかにして消費者心理をつかむのか、これが非常に大事になってきます。
消費者ニーズそのものというのが、基本的なことのよでありながらも近年、重要だと認識されるのには、いったいどのような意味があるというのでしょうか?
さらに時代の変化の中において様々なものが変わっていこうとしているのです。
考えてみれば、これまでの日本というのは国全体がスタンダードな考え方にとらわれすぎてきたのです。
例えば日本の教育にすれば、教育の最終過程というのが「大学受験」であったりします。
この受験システムというのにも基準となる指標があります。それが偏差値です。つまり、この偏差値というレベル感によって、人生というのは大きく左右されるということになります。
しかし、これはあくまで一般的な「当たり前」とされる考え方であり、これが世の中のスタンダードとなります。
偏差値という指標で相対的な評価がされているというのが現実なのです。
しかし、これはスタンダートにのっとった考えた方であり、独自の考え方をしても当然よいわけです。
むしろ何が起こるか全く予想がつかない現代では、スタンダードに固執する必要は全くないとと言い切れるのではないでしょうか。
スタンダードにとらわれ過ぎると視野が狭くなり、大きな変化が起こった時に、すぐに対応できなくなるというデメリットがあります。
現在では、そのようなスタンダードにとらわれ過ぎないように各自が意識することは大切となります。
もちろん、スタンダードを全く意識しないということではなく、それはそれとして意識し、各自の考えを明確に持つべきなのではないでしょうか。
現在の世の中というのは、非常にシステマティックに形成されており、結果そのものに重点が置かれすぎています。
あくまで「基準」としてのスタンダードにとらわれ過ぎないということが、今の時代に適しているのではないでしょうか。
かつての日本と言えば、古き良き昭和の風情がたたずむような考え方は、多くの人の共通認識というスタンダードが何よりも世の中の標準的思考であり「常識」と言われるようなものでした。
根性論や精神論という言葉のみでかたずけられていたような時代とも言えます。つまり、理論や分析などというものがないのです。
かつては、非常に厳しい時代だとも言えますが、昭和初期の時代背景を見れば、日本がそのような歴史をたどったことは仕方のないことなのかもしれません。
また、それまでは情報開示するような手段が限られていたこともあります。つまり何が良くて悪いのか、それ以前に選択肢の要素さえも認識していないという、そんな時代もあったのです。
逆に考えれば知らないということは、それほど悪いことではないのです。知らないわけですから仕方のないことなのです。
全てを知ったところで、必ずしもプラスになるとは全く限らないのですから。
10分でわかるConsummatoryとInstrumental③【ConsummatoryとInstrumentalのバランス感覚】
「10分でわかるConsummatoryとInstrumental」というテーマで3つ目に取り上げるのは「ConsummatoryとInstrumentalのバランス感覚」です。
日本というのは世界的に見れば物質的には非常に恵まれており豊かな国だと言えます。
その上、現在のようなデジタルシフトが加速する現在に至っては、価値観の多様化というのが増々進み、変化の速度もそれに応じて増しているというわけです。
変化のスピードが激しい現代というのもまた、昔に比べると、はたして優れているのか?といえば決してそうとは言い切れません。ある意味、現代もまだ酷な時代と言えます。
過剰なまでの圧倒的なボリュームの情報の渦の中にいる私達現代人は、そのような混沌とした情報社会の中にどっぷりと浸かっているというのもまた息苦しいものがあるのではないでしょうか。
例えばなんらかの目的を追求することに関し、個人の感情や経験価値というものを優先させせるという考え方が以前にも増して強くなっているのです。
そのような現代的な生き方の状況から見れば現在いの世の中というのは、InstrumentalよりConsummatoryに生きよようとする趣向が強まっているのです。
InstrumentalとConsummatory、どちらが大事かと言えば、一概に断定はできません。
両方とも大事となります。
要は「バランス」が大切なのです。
そのバランス感というのもまた各個人によって異なるのです。
個々のそれぞれが最適なバランスを見つけるという方向に向かっているのです。
バランスそのもののことを理解していなくては、個人としても良し悪しの判断というのはつきにくいものとなります。
特に、そこに影響を及ぼすのは実は他人だったりするのです。
個人として判断すべきことがもやはり他人の目を気にしてしまうということになってしまう、つまりInstrumentalに寄りすぎることによる悪影響というのも考えなければならないのです。
価値観が多様化することと個人の自由というのは、また別のお話しというわけです。
現在の世の中というのは実に様々な情報があふれています。そのような状況の中で、誰もが自由な発想を持ち、自分自身と向き合いつつ、周りの情報と照らし合わせてバランスを保つこと、というのは、それなりの器用さが必要となるのではないでしょうか。
誰もが自由に考え、感情や思考を発信できるという環境は整っているものの、それをどう活かすかは各個人に委ねられているのです。
情報は、様々なデバイスやネットを通じて常に触れられる状況というのもまた現代人を疲弊させてしまうことにつながるというわけです。