世界的にみても、今やゲーム人口はかなりの数がいます。現在ではスマートフォンさえも含めゲームデバイスと言えるような状況となり、ゲームメーカーとしても今後、他社との競争に勝たなければなりません。
そんな中、世界的に有名なゲームメーカーが「任天堂」です。今回は、そんな「任天堂」の経営戦略について分析してみました。
ゲームメーカーとしては、不動の地位を築いた「任天堂」
ゲーマー人口が増加する中で、任天堂のゲームデバイスを保っている方も多いでしょう。家庭用ゲーム機として、これまで何十年にわたり、ゲーム市場をリードしその存在を不動にしてきた「任天堂」。今や日本が世界に誇るゲームメーカーです。
グローバルな展開を見せる「任天堂」ですが、「任天堂」という漢字表記さえも、最近ではちょっと珍しく感じるような気がします。
最近では、カタカナ表記の「ニンテンドー」やアルファベット表記の「Nintendo」のほうが、しっくりくるのではないでしょうか。
そもそも「任天堂」という漢字表記の違和感を覚える方については、「任天堂」のこれまでを振り返る必要があるでしょう。
今でこそゲームメーカーとして不動の地位を築いた「任天堂」ですが、そもそもは花札やトランプなどを手がける玩具メーカーだったんです。
「遊び」や「娯楽」、「ゲーム」という面での企業としてのコンセプトととしては、変わりはありませんが玩具メーカーからゲームメーカーへと見事に転身したのです。
任天堂がゲームメーカーとして、脚光を浴び一躍時代のブームとなったのが携帯型ゲーム機の「ゲームウォッチ」です。この頃は、現在のようなフルカラーではなく、電卓の液晶ウィンドウと同じように、黒のドット1色だったのです。
現在のゲーム機と比べれは、技術の違いには雲泥の差がありますが、それでも「ゲームを楽しむ」ということは、変わらず、それなりにヒットしました。当時の小、中学生はゲームウォッチに夢中になったものです。
その後、任天堂がゲームメーカーとして現在の地位を築くようなヒット商品として世に放ったのが、1983年に発売された『ファミリーコンピュータ』です。
通称「ファミコン」は、数年間に渡り売れ続け、ゲームソフトの本数においても、かなりの数のゲームを販売しました。「ファミコン」世代と言われるように、多くのゲーマーを生み出したのもこの「ファミコン」の影響によるところが大きいです。
現在も、このファミコンのゲームは、最新の「Switch」でプレイすることもできます。
その後の「任天堂」の勢いも留まることを知らず、数々のヒット作を生み出していきます。
『ゲームボーイ』や『スーパーファミコン』や『ニンテンドーDS』、『Wii』など数々のゲーム機を世に送りだし、日本だけでなく世界中でも大ヒットとなりました。
日本の元玩具メーカーが、世界的ゲームメーカーに転身したその歴史は、まさにサクセスストーリーとしか言いようがありません。
任天堂の経営は、ブルーオーシャン戦略
これまで数々のヒット作を世に送り続けてきた任天堂の経営戦略は、「ブルーオーシャン戦略」と言われています。
「ブルーオーシャン戦略」とは、「まだ未開拓の競争者のいない市場で顧客に対し高付加価値低コストを提供する戦略」です。
つまり、他が目をつけていないジャンルに目をつけ、自らがそのジャンルを開拓していこうという考えです。確かにこれまでの任天堂の歴史を振り返ってみても、「ファミコン」の登場前には、家庭用ゲーム機としては「ファミコン」のような「モノ」は、世の中には存在しませんでした。
これまで「世の中に存在しない未知のもの」を世の中に提供するわけですから、それだけでも世間へのインパクトは相当なもので、人々の興味を惹くことは、間違いありません。
そして任天堂の凄いところは、昔から現在まで変わらない姿勢と経営戦略です。「ファミコン」から「Switch」まで、常にライバルのまだ存在しない新しい市場を開拓し続けているということです。
ブルーオーシャン戦略という経営戦略は、他社との差別化をする上でも、ゲーム機業界の中で他とは違う圧倒的な存在感を確立する為に必要な戦略だったのです。
ブルーオーシャン戦略の利点とは?
ブルーオーシャン戦略の利点は、いくつかあります。新たな市場を自ら開拓するということで、はじめにライバルがいない状況からのスタートということで、最初の時点で他とは差別化をはかれ、市場をリードしていくパイオニア的存在となれます。
そしてブルーオーシャン戦略は、無限の広がりの可能性を秘めています。「ファミコン」が登場したその後を見ても終わりのように、「任天堂」のみの発展に留まらす、他メーカーや、他業者など様々な分野や、ゲーム業界全体に波及するほどの大きな影響力を与えたことになります。
常にリードし、開拓してきた「任天堂」の功績はかなりのものがあるでしょう。